大滝安吉 『純白の意志』

学生時代に雑誌『現代詩手帖』で読んで一撃され、長年に渡り忘れられない詩句がある。大瀧安吉の「木は歩むべきだ」という詩句だ。詩集の名前も忘れ詩人の名前も忘れたが、この詩句だけは刺さったまま成長していたらしく、ある時どうしてももう一度読みたくて仕方なくなって探してみるものの詩句だけからでは手がかりに乏しい。やっとTwitterの投稿を見つけて大瀧安吉という詩人の名前となんとネット書店に古本の在庫があるのを発見した。しかし、五千円。読みたいのはその作品だけなのだ。図書館を探してみるが行きつけのところにはどこもない。国会図書館にしかないのだ。しばらくの間躊躇い、何度も注文しかけては考え直したが、これだけ古書も出回っていないのだし、国会図書館は入場が制限されていて何かと煩わしい。最終的には、これだけ気になるのだから、そこには何かがあるに違いないと思いさだめ、結局購入することにした。それが表題の詩と詩論をまとめた大瀧安吉の『純白の意志』である。

早速届いた本を見るとしっかりした箱入りの本で、中にしっかり封をした封筒が挟んであった。もしや私信であったら元の持ち主に返さなければいけないのではないかと思い、慎重に開けてみるとなんと中華のコース料理のメニューと大滝さん自筆と思われる筆跡の「建築」という詩の一節が記されたカードが出てきた。何か結婚式で配らせれたもののような気もするが、本書は詩人の死後、吉野弘さんが編んだものだし、付録なんだろうか。さて。由来をご存知の方がいらっしゃったら教えてもらえると嬉しい。

まだ少ししか読まないうちに何年振りかに自分で決めたルールを破ってこのブログに向かっているのは、ただ、ほぼ40年近く前に足立区の図書館で読んだ詩が放つ光に感動したためだ。これはまるで今の自分に向けられたような詩の言葉ではないか。きっとこの作品は多くの人にとって必要なものだ。広く読まれるようになることを心から願う。

木は歩むべきだ

大瀧安吉

もはや枯れようとする木の幹には
紅茸の夢だけが
むざんにはえ拡がる
あたかも、新しい生の開花ででもあるかのように
だが、刃物でむりに
それを切り取ってはならない
すでに紅茸と幹の間は
太い血管でつながれている

むしろ木は
歩むべきだ
湿地の底深く張りめぐらされた根を
根気よく抜きとり
あの光に満ちた山の斜面まで
木は歩むべきだ
岩の道を
根瘤をさらし 不器用に
休むことなく

あの山の斜面
風景から飛び出そうとする辺り
さわやかな風と光のなかで
紅茸の夢はひとりでに落ちるだろう
遙かな海の眺望のなかで
やがて木は
さっぱりと枯れるだろう

そうして
木はそれ以上なにもなし得なかったとしても
この驚くべき事実こそは 確実に
世界を変える
発端の一つになる

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