ADIEU

   1

クロスロードで
ライク・ア・ローリング・ストーンを聞いた
東西南北 どっちへ行くか考えていた時に
ボブ・ディランがHow does it feel? とわめきたてたんだ
ちょっと良かったぜ
鈍い感じの春の午後四時ぐらいさ
陽はまだ高くって 日曜でさ
カップルばかり目につくような日だ
How does it feel?
Like a Rolling Stone.
どっち転んでも俺はハック・フィンだ
ああしなきゃこうしなきゃなんてことばっかりの都市で
そつなくごまかして楽しくやってけるトム・ソーヤーにはなれない
きみが求めているのはトム・ソーヤーさ
はみ出しもんのハック・フィンじゃない
というような青いことを漠然と考えてたときだ
それはひらめきでもなく啓示みたいなもんとも違ったけど
何かをぼくに注ぎ込んだ

だから
書き始めたんだ
こうして百万年ぷりに

   2

たとえばこういうことだ
書いてしまったものは動かせない
言葉が紙に最初に接した時に
書いた人間の思惑は終わっている

そこで 言葉は死に 文字が残る
文字として生きることで言葉は生命を凍結する
ぼくたちには そうなった言葉の純潔を汚す方法はないのだ
書き加えたり削ったり書き直すことは絵の具を塗り重ねるのと同じで
古い言葉は地層の下の方に たとえ消しゴムで消しても沈み
眠っているのだ

初め言葉の純潔を汚すのがいやで
自分が一度書いたものを書き直すのが嫌だった
言葉は一回きりのもので二度と修正することはできないと思っていた
言葉が層をなして眠るのを知ってから
逆に放置することで言葉が死ぬのを恐れた
だから全ての言葉を引き連れて歩くようになった
そのあげくがこの始末で
そして気づいたのは当たり前のことで
書いてしまった言葉は動かせないが
かといって動かない言葉に動かされる理由もないということだった

立ち去るべき時というものはある
どこへ行ったらいいのか分らないときに
当たり前の真実に気づいたのは
立ち退きを強要されたようなものだ

というわけで
ぼくはクロスロードにいた
ローリング・ストーンのようにさ
目的もなく あてもなく
荒野のハック・フィンのように
ずるずると生き延びて
クロスロードだ

   3

悲しみはほとんど行ってしまったが
問題はそっくり残っている
ぼくは何も解決しなかった
悲しみの終わりは問題の終わりだ
解答が終わったわけじゃない

答案は白紙のまま 頭の中もまっ白
時間内に問題が解けなかった
それだけのことなのだ

だけど解答のチャンスはある
それは死ぬまであるのだ
しかし 今更何のための解答なのかが問題だ
言いたいことなんか特にないし
書かなければいけないこともない
要するにほとんど全てが過ぎ去ってしまったのだ
チャンスがいくらあっても何にもならない
そのことにぼくは自分で感動する

鉛筆をもって消しゴムをそばにおいて
こうして書いている
何のためかわからないけど
そうして書いている
これはもしかすると
すごいことかもしれない

   4

それでどうしたとか
これからどうするかとか
頭の中にはそんなことばっかりがある
でも、それを書くのはたまらなく億劫だ
そんなものは頭の中にあればそれでいいことに思える

ぼくにとっては重要でもぼくにとってだけ重要なことなら
誰かが読んだとして
理解してくれるんだろうか
理解しようとしてもらえるだけでぼくは救われるけど
ぼくはそんな理解者をもう期待できなくなっている
ぼくが期待していいのは
主人公の死を心待ちにしている無責任で自分勝手な読者だけだ
ぼくは彼らに何を見せたらいいのだろう
あるいは見せたいのだろう

本棚を眺めながらぼくは思う
これらの本を書いた人達は
どんな気持ちで書いたんだろう
誰に読んでもらいたくて
こんなに分厚くなるまで原稿を重ねていったのだろう
考えているうちにたまらない気分になってくる
どの本も救われない漂流者のビン詰めの手紙に見えてくる
誰かが拾い上げた時には全てが終わっている
本当は、ぼくは書くことでは救われないし
救うこともできないのだ
ただ理解しようと努めることだけが
何かをぼくにもたらすと信じるだけ
ただそれだけなんだ

   5

だからぼくにできるのは
形にならなかったものを形にして見せて回ることだけだ
当たり前の話だが見せなきゃ始まらない
終わる物は ほっといても終わる
始まる物は 始めなければ永遠に始まらない
本当に当たり前のことだ

   6

ぼくが行ってしまった悲しみと孤独から引き出したものを
きみたちにあげる そうすれば
もう ぼくは悲しみや孤独には用がなくなるから
バイバイ 傷ついた10年
ぼくたちはいくらか得るものがあった
きみたちも そうだといいね

思い出してくれるなら
あんなに心が震えて仕方なかったことが
ぼくにもあったということを伝えられたら
ぼくとしては十分にうれしい
あの心の震えが きみたちの心も震わすことがあれば
ぼくがこの宇宙に生まれてきた意味が
夜通し起きていることや
煙草を吸い過ぎたりすることや
やりたくない仕事をやらなければいけないことではなく
ただ心が震えて仕方なく
頬を薔薇色に輝かせて仕事せずにはいられず
やりたい人しかその仕事をやることはできないということであるのを
伝えることができる
ぼくはそのことを最初にビートルズから教わったんだ
Take a sad song, and make it better
ぼくはそれを伝えたくて書いてきたようなものだ

ぼく自身はちっともうまくできなかったけど
これから練習するよ
あいうえお かきくけこ さしすせそ・・・
123456・・・・
最初に文字や数字やたし算やかけ算を覚えた頃のように
心震わせて
頬を薔薇色に輝かせて
いち に さん し ごー ろく しち はち

また会おうな 楽しみにしてるよ

「あんたの ハック・フィン」 1988年6月18日(土)PM2:30

               ありがとう

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