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福島第一原発の現状その他(10)

三月以降の放射能の脅威をめぐる議論は、ほとんどリスクの捉え方をめぐる立場の違いに由来しているといっていいと思う。例の20mSv とか100mSv とかの安全性の議論は、まさにそうだ。たとえば、長崎大の山下俊一教授の発言も、その由来するところをおさえればその全てが暴論とまでは言えず、ある立場を代表した発言にすぎないという理解が可能だ。

まず確認しておたいのは、リスクには大きさと発現確率があるということだ。小さなリスクから大きなリスクまで。それから、発現する可能性の大小もある。リスクを考えるときは、この双方について別の観点のものとして捉えて別々に検証しなければならない。低線量被曝のリスクについて言えば、低線量の被曝が続いた場合、将来的にがんにかかることがあるというリスクが本当にあるのかどうか、あるとしたらその発現する確率はどのくらいなのかだ。しばしば、後者だけをとらえて確率が低いので重要な問題ではないかのような説明がされるが、これは強調点を変える事で論点をそらす典型的な詐欺や押し売りの論法なのだ。確率が高かろうが低かろうが、がんにかかるリスクがあるなら、まずそこを明確にすべきだ。つまり、そのリスクが発現したときのインパクトの大きさについてはじめに明確にすべきなのだ。これは、今回の原発事故がそのまま生きた事例を提供している。発生したときのインパクトの大きさは非常に大きいのだが、発現確率は無視できるとしてきた事故が実際に起こったわけだから。

低線量被曝のリスクについては、今入手できる情報の範囲では人生のどこかでがんにかかるリスクが増大するというものが、もっとも確からしそうな見解だ。放射線は、DNAの鎖を切ると言われているが、これは放射線のイオン化作用による。放射線が物質にあたる事で電子をとられ、原子の結合が切れるからと思えばだいたいいいのではないか。だから、DNA に限らず人体の組織に「傷」がつくことも当然ありえるわけで、それによる疾病も想定が必要なはずだが、あま り話題にはならない。壊れた組織を切り離して継続する生命活動のダイナミズム、あるいは自己修復力のためかもしれない。自己修復力は、DNAにもあり、DNAが破壊されても修復されることで自然放射線にうちかって人類は生き延びてきたという解説もしばしば目にする。つまり、この自己修復機能のキャパを超えなければ、放射線をあびても問題ない可能性があるということになる。100mSv 以下の低線量を問題にしない論者の主張は、ほぼ、広島・長崎の調査で100mSv 以下の被爆者には、他の原因から発生したがんと放射線由来のがんを区別できるような統計がないことを論拠にしている。つまり、現に、その程度の被爆線量の人は多くが生き残っているし、がんになったとしても他の原因からかどうか分らない程度だという主張である。実際に、現場の作業員の方は250mSvの基準に変更されており、リスクは高まるにせよ限度まで安全を見た時の基準であることは想像できる。つまり、その限度の範囲内でどこまで被爆線量を下げられるのかというのが議論の本質であって、どこまでなら浴びてもいいかという問題ではないということだ。山下教授は、このような文脈で、簡単に移住できない住民の現状をみたときに年間100mSv が必ずしも強制的に即座に移住しなければならない線量ということはできない、という事実を、まったく問題ないという言い方で伝えてしまっている。仮にそのリスクがどんなに低くとも、それはあり、そのリスクに応じて住民が判断すべきことにも関わらず、行政側のアドバイザーという立場で安全を宣言することでその判断の機会を奪っている。自治体も学校も、これによって独自の判断を萎縮させられる結果となっており、山下教授の住民の無用な不安を取り除きたいという思い(この点に偽りは無いと僕は考えている)とは逆に、不安を増大させる結果を招いたといっていいと思う。

問題を切り分けなければいけない。山下教授を初めとする識者の発言では、二つの問題が混乱したまま取り扱われてしまっている。つまり、リスクの大きさと発現確率だ。そのうちの後者については、問題の事象自体がまだ具体的な形では現れていないと考えるべきだろう。低線量の被曝のリスクは晩発性の障害、特にがんの発生率の上昇にあると言われており、短期間では明確に現れてこない。過去の事例としては広島・長崎しかないと言われており(それ以外のものは軍事施設の事故などで信頼のおける統計が公表されていないのかもしれない)その統計からは、この発現確率は低く怖がる事は何もないというのが山下教授に代表される意見だ。極端な意見としては、喫煙のリスクの方が高いくらいなのだからがたがた言うなというような類のものもある。悲惨な例を知るひとほど、低線量被曝の問題については楽観的な識者が多いような気がする。彼らの多くは、被爆に関するなんらかの調査や研究を実地にやってきており、それなりの蓄積がある点でまずは聞くべき意見のひとつだと考えてはいるが、しかし、もしそれが発現したら人はがんになるのであり、喫煙由来だろうが化学物質由来だろうが同じ事で、人はそれに対して楽観的にはなれない。特に、放射線の影響を受けやすい子供と大人とを区別した統計に基づいた話しなのかどうかが曖昧なので尚更だ。

では、その発現確率はどうなのだろうか。よく言われる、100mSv で0.5% の発ガン率の上昇という数字だ。これもICRP由来の数字だと思うが、大人と子供と区別されていないことに注意が必要だ。体験的にわかることだと思うが、大人に限って0.5%の上昇というなら確かにそれほど深刻な事態とまでは言えないのかもしれない。しかし、同じ原因があったとして、子供の受ける影響は大人よりも大きいと言われているのだから、本当はこの数字でも十分に深刻だと思う。自分の子供時代を振り返っても、同学年でがんになった子供はいなかった。250人くらい児童がいるなかで一人もだ。それが子供ががんにかかる割合なのだ。それが、0.5%になっただけで(増加ではなく)、一人か二人はがんになることを意味している。しかも、もちろんの事、喫煙などしなくとも、だ。0.5% がどういう数字なのかは分らないが、これより少なくない子供の発ガン率の上昇が今後起こると考えて対策を考えるべきだと僕には思える。今、よく考えるべきなのは、子供の中の100人や200人にひとりくらいの割合でがんになってしまうとされているリスクがそこにあるかもしれないということなのだ。本当にあるかないかを議論しているなら、あるいは、それが議論の対象になるくらいのことなら、それはリスクなのであり、リスクについては、避けて通るか、原因を取り除くか、影響範囲を縮小し閉じ込めてしまうかの何らかの対策が必要だ。たとえば、この確率を二桁は下げる対策である。それが、ICRP 勧告にある1mSv/年を目指すべしという言葉の意味だと思う。

ところで、福島県だけでなく、都内でも「ホットスポット」があるとか、茨城や栃木などの北関東にも高い空間線量のエリアがあるというのがニュースになっている。これらについては、どう考えたらよいのだろう。福島県を初めとして、3月の大量放出時に風下にあり、雨で大量の降下物が落ちた地域については、地図もできていておおよその範囲は分っている。これらの地域の大半は、放射線事故が継続中の地域というよりは、もう平常通りに生活をし始めてしまっている地域だ。従って、まずは1mSv/ 年を基準に考えるべきだと僕は考えている。

そう考えた場合、2μSv/時の福島県だったら、大雑把に一日の半分の時間は2μSv/ 時、のこりは室内で、その1/4くらいをあびると仮定すれば、30μSv/ 日だから、一年だと、10mSv/ 年くらいあびることになる。この地に住む事は、これを受け入れることなのだ。5 才の子供がセシウム137の半減期といわれる30年の間ここに住めば、被曝量は累積で、300mSvということになる(ただし、正確には他の各種の半減期を考えるとこれより低いはず 7/4追記)。これは、無視できる被曝量ではないと僕は考えている。少ない放射線を長期間あびるほうが、強い放射線を短期間であびるのよりは問題が起こる可能性が低いという見方もあるようだが、結局はがんになるかならないかは確率の問題なのだと考えるなら(つまりDNA が傷ついてがんの原因になるかどうかは放射線が丁度そのような場所にあたる確率だと考えるなら)、余計な放射線は浴びないに越した事はないのだ。危うきに近寄らずが、こうした場合の鉄則だ。安全運転を心がけていたらあまり問題にならない自動車の運転とはここがちがう。自動車の場合も事故をしかけられることはあるが、放射線の問題は常に一方的でコントロールできないのだということを確認しておく必要がある。自分が福島にいて子供を抱えていたら、疎開か家族ごとの移住を考える。夫婦ふたりなら、そのまま残ったかもしれない。

では、東京のホットスポットはどうか。これらは、だいたい0.5μSv/時くらいだ。計算上は、福島の1/4だから、2.5mSv/年程度になるわけだが、これは問題なのだろうか。こうした場所の多くは、側溝、公園などの水場、植物や土のある場所だ。つまり、今、放射線を出している主たる核種であるセシウムが溜まりやすい場所なのだ。空間線量が高い値を示しているのも、そうした場所からの影響であって、今、空気中に多量の放射性物質が浮かんでいる訳ではない。したがって、これについては現時点ではあまり過敏に反応する必要はないというのが僕の意見だ。江東区の方で、洗濯物をほしていたらなんでそんな危険なことをするのかと近所の人にいわれてもうノイローゼになりそうだという主婦の方がいたが、洗濯物もほせないほどの汚染が起こっているというのはあまり正しいイメージではないと思う。風で流されてきた放射性核種が雨で落ちて、水の流れにそって集まっている。これが現在の汚染イメージだ。したがって、側溝、河原、川、とくに川床、下水などが一番汚染がひどく、 また、放射性物質が流れずに土にしみ込む田畑、公園の芝生、植え込み、そこから水を吸い上げる植木などの植物だろう。おおざっぱにいえば、水回りと土、植物をさけることで、ほとんどの影響は回避できるのではないか。たとえば、同じ新宿でも、都の発表データは高所での測定結果で、低い場所で計ると高いという報告も見かけるが、風と雨で放射性物質が現れやすいビルの屋上と比べて、ほこりのたまりやすい場所が多くある地上では、地上のほうが高く出るのは当然ということのようだ。水の通り道や土がなくても、ほこりがたまれば土があるのと同じ事なのかもしれないが、だからといって人ごみにはでかけないようにといわなければならないほどの放射線量ではないと考えている。自分が東京東部にいても、多分疎開も移転も考えないと思う。

ただし、放射性物質が落ちているのは間違いない。今、必要なのはきめ細かな測定を行って、個別に放射線量の高い箇所について対策をとることだ。とくに、子供の生活の大半を占める学校の調査はぜひ積極的に進めてもらいたいと思う。たとえば、もうプール開きした学校も多いと思うが、水がしみこみやすいプールサイドのコンクリやシャワーまわりは要注意だと思う。ともかく、前に述べたように、全てのバックグラウンド以外の放射線はリスクと考え、除去できるなら除去するのが大原則だ。影響が小さいからと放置できないのは、人は様々な場所を移動しながら暮らす事で、多くの放射線リスクにさらされながら生きているからだ。至る所に低線量の放射線があったとしたら、その中で暮らしている人はどうなってしまうのかということについて、だれも確定的なことは言えないし、日々暮らしているなかでどれくらいの放射線を浴びているのかが分らないという事自体が問題だからだ。せめて、ホットスポットと呼ばれる場所を減らし、一年での被曝量を生活時間にみあった形ですぐ計算できるような状況に戻すことが望まれる。それにしても、対応が必要な場所は、東京の場合、まだ限定的だというのが僕の想像だ。もちろん、これは、屋外、特に土や植物、川、下水などを対象とした職業につかれている人々にはあてはまらない。常時こうした放射線量が高い可能性のある場所で作業する人に対する対策は急務だと思う。

(2011/7/4 追記・修正)