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父の晩年(5)

父が晩年いつも座っていた場所の近くに置いていた本が3冊ある。繰り返し読み返したというわけではなく、トースターの近くに置いてるものだから、パン屑がかかったり煙草の灰が落ちたりで片付けたときには大分汚れていた。ただ、もう本などほとんど読まなかったから、ほとんど最後に読んだ3冊といってよいのではないかと思う。最後司馬遼太郎の『以下、無用のことながら』、吉本隆明の『最後の親鸞』、幸田文の文庫本。後の2冊は元々は私の本だ。司馬遼太郎は好んでよく読んでいた。しおりがはさんであったのは、親鸞について書かれた部分である。

親鸞に殊更関心をもっていたのかどうかは分らない。しかし、歳を取ってから仏教に関する本をよく読んでいたのは確かだ。中村元とか、私の本棚にあった岩波文庫の『ブッダのことば』なんかも引っぱりだして読んでいたのを覚えている。

父が死にどう向き合っていたのか、私には分らない。死が怖くないということはなかったと思う。死ぬのはいやだという気持ちとこんな歳老いてしまって生きているのも面倒だという気持ちの両面があるようなことをちらっと聞いた事がある気がする。父は、信仰を持たなかった。最後に宗教について書かれた本を読んで何を思ったのか聞く事もなかった。それで宗教心が芽生えるということもなかったに違いない。我が家は元々神道だったらしいのだが、戦後葬式を出すときに宮司がおらず仏式でやって以降葬式は仏式という宗教にはいい加減な家である(と父は言っていた)。ただ、おばあさんだかが、浄土真宗の熱心な信者だったと聞いた事がある。親鸞について書かれた本を読む気になったのは、そうしたことも背景にあったかもしれない。

『最後の親鸞』には、割合に前の方にしおりがはさんである。そこまでしか読まなかったのか、そこが気になったのか分らない。その三顧転入について述べられている箇所で私が注意をひかれるとすれば次の箇所だ。

「第十八願は、浄土を信じて、十遍でも念仏の心をもった衆生が、浄土に生れ変れないならば、じぶんは覚りをもつまいという阿弥陀の誓いをさしていて、称名念仏が、救済の本意だという絶対他力の根拠をなしている。そこで第十九願から第二十願をへて、第十八願に転化する過程は、人間的な倫理の高さ低さの差別の否定であり、善と悪との差別を相対化して、<浄土>という概念にふくまれている、美麗なところ、清浄なところ、荘厳なところ、豊饒なところという、観想的なイメージの否定を経て、念仏のまえに、一切の人間は等しく<正機>に属しているという思想への過程としてみることができる。これはまた、一切の自力の痕跡を現世的な人間から消してゆく過程ともみなされる。」

親鸞は、おそらくは自分でもちっとも信じていない浄土を肯定する。その上で、一度でも南無阿弥陀仏ととなえれば浄土へ行けると言い切るのだ。その言葉は、思想の言葉とは異なり、もはや嘘とも真とも言えないような非常に高く強い言葉だ。それがたとえまったく当てにならない浄土であっても、それを信じさえすればそこへ行けるというまったくあてにならない真実の言葉。それは、だれのためにも開かれている。

父は、もしかすると、こうした親鸞のもっている絶対的な平等性とでもいうような考え方に少しくらいはひかれたかもしれない。多くの事を思い煩う歳ではない。ほとんどの人生上の問題は終わってしまっている。いくつかのことを簡単に考えて、納得するかしないかぐらいしか残っていない。そんな具合に人生を始末しようとしていたのではないか。人生は、単調な繰り返しの連続だ。人間は、その繰り返しに耐えかねて確実にすりきれやがてぼろぼろになっていくというのは、ボリス・ヴィアンの『うたかたの日々(日々の泡)』のテーマだった。父は、『うたかたの日々』のような切なさや感傷とは無縁に、男らしくその繰り返しを最後まで淡々と過ごして死んだ。それ以外に何があるんだ?あとは、せいぜい念仏となえるかどうかのオプションがあるだけじゃないのか。この残された三冊を見ていると、そんな風に無言の内に父が語っているように思えてならないのだ。