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『贈与の哲学 ジャン=リュック・マリオンの思想』 岩野卓司  イントロダクション 中沢新一

もちろん僕も本書を手に取るまで、マリオンという人は知らなかった。中沢新一さんの名前が出ていなかったらそもそも読んだかどうだか。

表題から推測できるように、マルセル・モースの『贈与論』もまったく無関係とはいえないが、ここで語られている贈与は、交換との対比ではなく、存在と対比される贈与であって、マリオンの主張との関連で引っ張りだされるのは、たとえば、ハイデッガーであり、フッサールであり、デリダである。本書は、存在から贈与へのパラダイム・チェンジの可能性をめぐるマリオンの読解といったおもむきで岩野卓司さんが2013年に明治大学の野生の科学研究所で行った三回の公開講義の記録である。WEBでも、その記録を読むことができる。

著者の岩野さんは、カトリック系の哲学者であるマリオンの元で直接学んだ経験のある方で、実にわかりやすく西洋の哲学のながれを要約しながらマリオンの思想を位置づけている。マリオンに興味がなくとも、十分に読む価値のある書物であると言ってよいと思う。本書では、著者の考えというよりも、マリオンの思想が展開されていくわけだが、そのマリオンの思想も十分に面白い。ただ、内容については、野生の科学研究所のWEBサイトにレポートがあるのでそちらを参照してもらいたい。

僕の感想は一点だけ。

 それでは、そういう存在論の発想をもう一回考え直すことは、どういうことなのでしょうか。「何かは存在する」ことを、「何かがただそこにある」のではなくて、ちょっと視点を変えて、「与えられてそこにある」と考えるとどうなるのか。そうするといろんなものの見方が違ってくるのではないか。
 つまり、「何かが存在する」という見方から、「何かが与えられている」という見方へ転換することで、「存在」から「贈与」への思考のパラダイム・チェンジが可能なのではないかという大きな問題が伴われています。
 何かが与えられていると考えると、やっぱり自然とか神とか、ある種の他者を考えざるを得なくなる。しかも、その他者が「存在」するかどうかよりも、その「他者」の「贈与」の方が重要である、というのがこの贈与の哲学上の問題設定だと思います。(7ページ)

冒頭で、このように、「存在」から「贈与」へのパラダイム・チェンジについて要約している。これは、別にマリオンについて述べられた箇所ではないが、表現を人間の土台におく僕の考え方とは相容れない。

根源を問わずにすませることが重要な場面もあるが、宇宙論で言えば、それを思考の中心にすえるのは、人間原理と同じで、問題の範囲を内と外にわけて、外側を忘れることによって説明できることもあるのかもしれないが、失うものも多い。マリオンが神との接点を失わずに作り上げた思想もその流れにあるのだとすれば、人間原理ならぬこれは神学原理であって、神の居場所を所与のものとして設定することによって、必然的にその外側を忘れる思考なのではないか?読み取れた範囲で批判を感じるとすれば、以上である。

WEBサイトで斜めに読んで興味がわいたら是非読んでみてください。僕は面白く読んだ。