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『不寛容の本質』 西田亮介

西田さんは、神保哲生さんと宮台さんがやっているマル劇トークオンデマンドに出演しているのを見て興味をもった。彼は宮台さんの教え子だそうだ。昭和的なものと現在的なものの対立がおじさんたちと若者たちとの対立点として理解されていて、実証的なのでいろいろと参考になった。現在がどんな状況であるのかを理解するのにはいい小冊子だが、その不寛容なるものの由来についてはそれほど深い議論があるというわけでもなく、どちらかというと、いくつかの現象についての祖述を集めた趣になっている。

わが国における不寛容なるものは、要するに自分の居場所を確保するための規則への遵守が絶対的なものになっていることからきている。満員電車に乗り合わせて、遅れればおいていかれるのがほとんどの日本人のおかれている現状だ。まがりなりにも電車はある。だが、人に譲っている余裕まではない。あるいは、結果として人を取り残さずに出発できるほど電車もない。なのに、昭和な親父たちの規則はより人を差別化して弾き出すもので一向に変えようとしない。若者たちはそのことの理不尽さにほとほと嫌になっている。何度か書いたことがあるが、進撃の巨人の巨人たちはわれわれ昭和な大人たちにしか見えない。若者達は必死に生き残りをかけた戦いをしているのに、ぼーっと突然に現れて彼らを食い尽くして帰っていくのだ。寛容などかけらもない。

それはともかく、これは本当はジェネレーションの問題ではなく、格差と差別の問題だ。機会は均等ではなく、チャンスが与えられないまま不幸になっていく人々は拡大している。格差が広がっているのは統計が示している。国民総生産は世界第3位かもしれないが、これこそ統計の嘘の最たるものだろう。一人当たりのGDPでは世界第3位どころではない。国全体として貧しくなっているのだ。政府の税収は一時期より持ち直しているがこれは消費税導入のためであり、しかも、社会保障費がその1/3を食いつぶしている。その割には、本当に必要な人のところに回っていかない現実も目の当たりにする。若者はしかし、反抗も要求もしなくなった。SEALSのような直接的に意見を吐く行動はものすごく嫌われ排除される。

現在は、西欧諸国同様、共働き世帯が主流になっている。これは実感がある。本書でも統計でそのことは裏付けられている。専業主婦は衰退の一途だ。そうでないと家計が維持できないというだけでなく、女性のキャリアに関する意識もずいぶんと変わった。僕の高校時代には、女性は結婚と出産がまずあって、途中の進路を考えるというパターンがほとんどだったのだ。僕はそれが嫌で仕方なかった。なんで僕より勉強もできてよく気のつく女子が四年制の大学へ行くと結婚できないからと短大に行くのかわからなかった。しかしもう昔話になった。それだけ居場所が多く求められるようになったわけだ。しかし、仕事は思うように増えていない。イス取りゲームだ。

年金問題、自動車離れ、消費税、少年犯罪の減少、なんでもいいのだけど、現代の社会問題の類の大半はつまるところ、残された椅子の数が少ないのが根本原因だと考えて差し支えないと思う。しかも、この傾向は間違いなく加速する。だれもが行きたがる職場は確実に椅子取りゲームだし、そうでなくとも、席があるほうが珍しくなる。社会の生産性があがり、より多くのものを短時間で生み出せるようになれば、必然的に手が足りてくる。自ら仕事を定義し、考え出すことができなければ誰かの仕事に参画するタイプの就職活動は次第に厳しくなるだろう。それは、何も日本だけの現象ではないが、その先に待っているのは少数の人が働き、大多数の人は食うためにはもう働かなくなる社会である。ベーシックインカムはこういう流れで考える必要があるのだが、その本質は実は裏返しの差別ではないかと僕は考えている。

少し本書と関係ないことを書いたが、この本は僕には薄味だった。このくらいのことは理解していないと、システム・アーキテクトといえどもだめだよねという気がする。でも、逆に考えれば、こういうことはわかってほしいという最低限の内容が盛り込まれて書かれているのだと考えればよいのかもしれない。