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『忘れられた日本人』 宮本常一

長らく、「みやもとじょういち」と読んでいた。「つねいち」だそうで、たいへん恥ずかしい。それに加えて、この本をいまごろ読んでいることもちょっと恥ずかしい。宮本さんは、民俗学で有名な人なので名前くらいは知っていたけども、昔から民話、民芸品、民衆、民俗みたいな言葉が入るものは敬遠してきていて、なかでも苦手なのが民芸品の類い。ちょっと見直さなきゃと考え始めたのは、中沢新一さんの『野生の科学』を読んでからだから本当にここ最近のことだ。

この本は、宮本さんが、当時の年寄りの話しを聞き歩いて書き留めたものを集めた聞き書きである。これをフィールドワークと簡単に言わない方がいいということは感じた。そのような言葉から漂う第三者的な入り方を宮本さんはあまりしていないように思えるからだ。それをなんと言うのだろう。読み終えても、この点についてはしっくりこないままだ。

最初に対馬の話しがでてくる。ここで描かれる村の寄り合いの様子にまずとても興味をひかれる。寄り合いで大事なことが話される時に、議題をまず確認して、発言する人は挙手をして意見をのべてみたいな会議にはまったくならない。それどころか、議題とは無関係な話題もふくめて行きつ戻りつする。決をとるなんてこともない。結論を急がせる起案者もいない。ただ、寄り合いに集まる人々の間にそのテーマがしみわたり、誰ともなく許容の雰囲気がうまれてある意味その寄り合いの共有事項として当たり前のことになるまでゆっくりといろいろなことを話し合うのだ。日本の会議が学校の教科書に書いてあるような会議の形をとらず、不定形で際限もなく続くルーツを見る思いがする。その場には、西洋人の好むボード・メンバーみたいな権威ではなく、運命を共有するもの同志の強い連帯と思いやりがあるように思える。

かつて、ある古くからの顧客の会議に参加していて驚いたのは、ともかく関係者を全員集めた長時間の会議を頻繁に行うことだった。会議の規模は、すぐに20人、30人となる。組織が大きいこともあるのだが、ものごとを進めるのにいつでも大人数を集めるのは決して効率がよくない。このような会議が増えると、会議に忙殺されることは元より、会議に出ているだけの人がたくさん生まれる。発言しない人々は、無駄に時間を使うだけになることが多い。しかし、僕が経験したその会議は、無駄どころか集団の意思統一と推進力を生む強い根拠になっているように思われたのだ。これは、自分がそれまで経験してきた効率の追求とは逆の方向性なのだが、ともかくそれはうまくいっていた。その会議は、全員が目的を共有し、自分の役割を納得するまで続く。それをリーダーにあたる人物がひとりひとりに確認するまで続くのだ。スマートなグローバル人材には信じられない会議だろうと思う。先日書いたスティーブ・ジョブスさんにも理解できまい。スマートでグローバルな解決策には不向きかもしれないが、全員でことにあたり一致団結して物事を解決するときには、実はこのような徹底した意思統一は、全員の理解と仕事の品質を底上げし、非常に強い力を生む。会議効率は改善できる。しかし、肉声による相互の意思疎通により確立した人間の連繋は、何物にも代えがたいパワーをもつのだ。

この寄り合いについて書かれた文章を読んでいて思い出したのは、その会議のことだった。こうした寄り合いがかつての日本の古い時代にどこにでもあったかどうかはわからない。宮本さんもそう書いている。教科書で教わる西洋流の会議のやり方は、多分ヨーロッパの議会などの議事進行の仕方が源流じゃないかなどと推測するのだけど、最近つづけて取り上げている話題に関連させていえば、それは、「知」を強調する流儀であって、「情」により近い所にこうした寄り合いの姿があるのだと考えると、これはどちらが優れているという問題ではなく、人間のコミュニケーションが情の交換から知恵を形式化してルーチンにしていくまでの幅を示しているといえる。

宮本さんの祖父について書かれた章では、その動物たちとも人と同じように接する祖父のこのような言葉を書き留めている。

 小さい時何かの拍子にチンコのさきがはれることがあった。すると祖父は「みみずに小便をしたな」といって、畑からみみずをほり出して、それをていねいにあらって、また畑へかえしてやった。「野っ原で小便するときにはかならず「よってござれ」といってするものぞ」とおしえられた。小学校を出る頃までは立小便をするとき、ついこの言葉が口から出たものである。それも大てい溝のようなところへする習慣がついていた。
「みみずというものは気の毒なもので眼が見えぬ。親に不幸をしたためにはだかで土の中へおいやられたがきれい好きなので小便をかけられるのが一ばんつらい。夜になってジーッとないているのは、ここにいるとしらせているのじゃ」とよくはなしてくれた。春から夏へかけて、どこともなくジーッという声が宵やみの中からきこえて来る。それがオケラの声だとはずっと後に知ったのだが、それまでは不幸なこの動物のために深い哀憐の情をおぼえたものである。(p.205)

みみずにおしっこをかけるとおちんちんがはれるという俗信は最早だれも信じないだろうけども、広く行き渡っている。その理由が説明されているのを初めて見た。もちろん、これが日本全国どこでも同じように語られていたかどうかはわからない。しかし、この地、この人はそのように話していたという記録は、実際にその俗信とともに生きてきた人々がいなくなった後の時代ではとても貴重だ。「よってござれ」のかけ声は、狼に対してもかけられる。

もとは狼が多かった。ウォーッウォーッと山の尾根のようなところでなく声はすごかった。それがまたきまったように夜ふけになると小屋のまわりへやって来る。狼は小便好きで、小便を飲みに来る。それで、小便をのまさないようにするために小便樽の底は大てい抜いておいた。それでも樽のふちについたのを舐めに来ることがあった。
狼は千匹連れと言って必ず千匹が群れをなしていて、人が山でもこえるとついて来るものであった。そして石や木の根につまずいて倒れるようなことがあると、おそいかかって骨ものこさず食うてしもうたものである。また狼というものは悪口をいうと必ず祟るもので障子の桟にでも千匹がかくれる事があり、じっときき耳をたてているものであった。
山道をあるいて戻って来た時には外の方を向いて「ごくろうでござった」と狼にお礼を言わねばならぬ。狼の悪口も言わず、狼の気にさからうような事をしなければ、狼は逆に人を守るものであった。
夜行水などつかってすてるとき、必ず「寄ってござれ」と言わねばならぬとされた。狼にかかるといけないからである。(p.227)

当時の日本にはたくさんの狼がいたことはもとより、このふたつの「よってござれ」と小便の挿話だけからでも、様々なことが考えられる。生き物に対する気遣い、自然との協調、伝承が与える日常生活への規律、言葉のもつ呪文のような性格、人間を守りかつ脅かす自然、土との関係性、などなど。他の章では、かつての日本のおおらかな性があけすけに語られていて、母系性のなごり、歌垣のような風習、人妻との性交渉の自由さ、夜ばいや父なし児の出産と育児など、とても面白い。

宮本さんは、「世間師」の章の冒頭でこんなことを書いている。

村里生活者は個性的でなかったというけれども、今日のように口では論理的に自我を云々しつつ、私生活や私行の上ではむしろ類型的なものがつよく見られるのに比して、行動的にはむしろ強烈なものをもった人が年寄りたちの中に多い。これを今日の人々は頑固だと言って片付けている。(p.214)

読んでいくと、この宮本さんの主張はなるほどと思われるに違いない。学校が与えてくれる画一的な知識や、企業や官庁の規格化された仕事に埋没することは、人間を類型的な生活に落とし込む。この本全体が、一種の現代に対するアンチテーゼになっているようにも思えるのだ。

最後にひとつだけ、本書の最後の方に出て来る記述を抜いておく。戦後の農地解放は、戦中から準備されていたとするものだ。本当のところどうなのか僕はよく分からないけど、農地解放は米軍がきてやってくれたというイメージが強かったのでメモの意味で。

 戦時中から農地解放の計画が農林省の方で進んでおり、解放するとすればどのようにすべきかということで、地主経営などの実態調査も行われていて、私も昭和十九年頃から奈良県、大阪府などの地主の実態調査にしたがったことがあり、戦後もそういうことを一通り全国的に見ておきたいと思って、この旅に出たのである。占領軍の農地解放は農林省の中で戦時中に企画されていたものが引き継がれたようで、占領軍から発表されたものは、農林省のもとからの案と根本的にはたいしてかわっていないようであった。そして農地解放の遂行が確実になった現在でも、なおその経営の実態を見ておく必要はあると思った。
高木さんはこの地方にはもう土地を解放するほどの地主はほとんど残っていないと話してくれた。もとは太鼓田をおこなった地主の家もあったがそういう家も多くは没落している。学者たちは階層分化をやかましくいう。それも事実であろう。しかし一方では平均運動もおこっている。全国をあるいてみての感想では地域的には階層分化と同じくらいの比重をしめていると思われるが、この方は問題にしようとする人がいない。実はこの事実の中にあたらしい芽があるのではないのだろうか。(p.298)

やっぱり、年寄りの話しというのは聞いとくもんだ、と、それがこの本の感想でははなはだ申し訳ないのだけど、結局のところ経験し、実地に見て、聞いて、感じた結果で理解されているものがもつ真実を軽視してはいけないということなんだろうと思う。知識は、規格化や平均化の罠のなかに常にある。分かった気になるという誤りから自由になるのも簡単ではない。宮本さんの仕事が、学として成り立つ理由は、つまるところそのあたりにあるのだろうというのが、宮本民俗学に入門しての最初の感想。