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『ブラームス 交響曲第1番』 小澤征爾・指揮 サイトウキネン・オーケストラ

で、そのカーネギー・ホールの復活ライブ。amazonの評者の意見は意外とネガティブなものも多く購入をほんの少しためらったが、この演奏は僕はいいと思う。サイトウキネン・オーケストラは、こういう言い方が正しいのかは知らないが、小澤さんと演奏できることをとても喜んでいるし誇りに思っている。それがよくわかる演奏だ。うれしくて、先走る。うれしくて、上っ面をなでて滑る。そんな欠点も含めて、この演奏が示したものは、音楽する心、歌う心の尊さだと思う。

小澤さんの指揮する演奏は、カラヤンやベームがウィーン・フィルやベルリン・フィルと残している演奏とは異なり、いつもある種の未成熟さを漂わせていたような気がする。それは、クラッシック音楽の歴史が与える圧力だったかもしれないし、取り巻きやパトロンたちの許容する古典音楽のコミュニティの壁だったかもしれない。ヨーロッパのマエストロたちの演奏には少なからず聴く者をしてかしこまらせるところがあると思うのたが、小澤さんの指揮は、そうしたこととはほとんど無縁だ。軽く見られる向きもきっとあったに違いないと思う。しかし、小澤さんの音楽には、常に、はつらつとしたオーラと若々しい音楽する喜びが満ちている。ごりごりの古典派音楽よりは、だからこそ、ロマン派以降の音楽の方がよく似合うような気もしていたのだ。そのごりごりの古典派一筋だった僕の父は、ブラームスですらあまり受け付けなかったが、弦の美しさがよく指摘されるサイトウキネンオーケストラにとっては、定番中の定番の演目だろう。本当に、このオーケストラにはブラームスがよく似合う。ベームの端正でドイツ的なブラームスと比べると、こちらの演奏はどこか無国籍な印象がある。しかし、小澤さんのつくる音楽のどれもがそうであるように、その中核にほとばしる情熱をひめて音楽がうねっており、聞くものの心に直接働きかけてくる。この音楽を評価しなかったら、音楽の世界はたいそう窮屈なものになってしまうのではないか。amazonの評者は、もしかすると僕よりもクラッシック音楽に詳しい人も多いのだろうけど、結局のところ好みを語っているだけだと思う。僕はといえば、いままで聞いてきた中では一番のお気に入りで、毎日聞いている次第。