月別アーカイブ: 2012年3月

宮台真司の吉本隆明解説

ラジオの録音を偶然聞いたのだが、フーコーとの対談あたり以降に、日本の「思想界」界隈の人々が吉本さんをどう見ていたかを代表する割合に率直な意見だと思う。吉本さんの生前はこういうことをわざわざ言う人もなく、そっと無視をしている感じだったのではないかと思うが、これからこの種の感想は少しは聞けるようになるんだろう。しかし、宮台さんの説明する「大衆の原像」も「自立」も「資本主義肯定」も、教科書には(もし書かれるとすればだが)そんな風に書かれるのだろうなという意味でとくに間違っているわけでもないというだけで、やはり遠巻きに見ていた人の理解を出るものではないと思う。本人が生きていたらおっかなびっくりしか言えないようなことをやっと安心して一般向けに言えるようになったという安堵感がかすかにほの見えていて、親しみや敬意みたいなものと同時に少しの照れも感じるのだが、宮台さんって案外いい人なんだなと思ってしまった。

70年代以降の思想の死みたいな流れを理解しない吉本さんの説明をしているあたりは、ものにならないことが明らかな統一場理論に打ち込んでいた晩年のアインシュタインに対して、彼を尊敬する物理学者が感じていた複雑な気持ちに重なる物があるように思う。量子論が発明されて世の中変わっているのに、量子論に先鞭をつけ相対論をひとりで完成しているにも関わらず、それがもたらした成果を信用しないで見通しのない世界へ舞い戻る天才物理学者を遠巻きにしている若い物理学者達。

僕自身はというと、ヘーゲルに戻っていって体系云々言い始めたそのフーコーとの対談あたり以降の吉本さんがだんだんずれていっているというのにはあまり反論はない。フーコーも「ヘーゲル?」って感じだったのではないか。しかし、原発に対する吉本さんの見解がこの「ずれ」の典型というような解説を聞くと、それこそ吉本理解しそこないの典型だと感じてしまうのも否定できない。原発の問題は、別の記事で書いてきているのでそちらを読んでもらえばいいけど、吉本さんの言っている「技術」は、我々が困らされている現実の技術と概念のレベルが違う。吉本さん自身も、そこらへんは存外無頓着で、技術原理主義のようになっているところがあって、その意味では結果としては昨今の原発の議論とは論点が確かにずれているには違いないのだが、この吉本さんの技術原理主義は、技術の不可逆性を自然の発展過程の一部とみなす理解の仕方に由来していて、実はそこにこそ吉本さん理解の鍵があるのだが、このことの深刻さはまだ人文科学系の学者には十分に理解されておらず、宮台さんような解説が許されてしまう原因となってしまっている。
この理解されなさっぷりは、80年代以降の吉本さんの理解されなさっぷりとほとんど重なる。結局の所、これは、表現に関する理論的な展開を自然理解の仕方と関連させてその仕事をながめられるかどうかにかかっているのだ。吉本さんのこのへんの仕事の原点は、『言語にとって美とは何か』の「表現転移論」にある。この成功体験が、その後の吉本さんをずっと支え続けていたことは間違いない。個別の仕事を断片的に見ていると、その時々の関心の対象をそのまま取り入れて料理するというかなり行き当たりばったりな試行錯誤を続けているように見えるところもあるし、西欧思想の流行に妙に敏感に反応する割に主流となっている理解からは遠い勘違いっぷりに終始しているようにも見えるし、勝手な材料を勝手に独断的に料理していて、はなから議論が交わらない面もあるし、というわけで、プロの学者や研究者がつきあいきれないと判断して敬して遠ざけるかむしろ端的に無視してきたのはよく分るのだ。しかし、そのことによって、吉本さんの幹となる表現の理論に関する展開の道筋を見失っているのは非常に残念である。これを、自然の弁証法や弁証法的唯物論の系統の思考の残渣とみなして忘れてしまうのは簡単だが、そんなに簡単な問題ではないというのが僕の意見だ。アフリカ的とかアジア的のような怪しげな概念を振り回す吉本さんをあまり無視しないほうがいいと僕はずっと考えてきた。その背景にある考え方は、現在でもまだ死んでいないかもしれないからだ。

結局のところ、グリーンアクティブのような動きがいくらかは期待感を漂わせながら少し残念な感じがするのと、この種の残念感は底ではつながっているのではないだろうか。短い時間の中だし、一般向けの概説なのだから、あえて単純化して簡単なことしか説明されなかったのだとは思うのだが、聞いていて党派性の問題も自立の問題も本当に考えたことあるのだろうか?と感じてしまったのも事実なのだ。
たとえば、宮台さんは、「自立」を党派性の対立概念であるかのように説明していたが、それは「自立」概念の一面でしかない。自立概念には、借り物でない自分の思想(鶴見さん流に言えば、自分の固有の偏見)を軸として歴史的な現実に対峙する姿勢が含意されていて、自分の立っている場所は自分自身でつくるという基本的な発想がある(それゆえに『言語にとって美とは何か』の最終章は、「立場」であったのだ)。というよりも、それより他に思想の語られる場所はないというのが、「自立」の出発点であったといった方がいいのかもしれない。その思想なるものが正しかろうと、そうでなかろうと、その立っている場は平等に批判に曝されねばならないし、その結果として乗り越えられるようなものなら乗り越えられればよく、決して自分の政治的な立場を守る防護服のように強い思想を学びその言葉をしゃべるようになることが思想を語ることではない。ロシア・マルクス主義は、思想を宗教に転換してしまい、マルクスやレーニンを教義にしてしまった。西欧のマルクス主義の強い影響下にあった日本の左翼知識人は、それ以下で、ほとんどは結局自分の言葉でしゃべれてやしないではないか、というようなのが自立思想に顕著な考え方だったと思う。党派性に対する否定ももちろんだが、それは、借り物の知識を自分のもののようにして話す日本の知識人に対する否定でもあって、この批判はそのまま現在でも有効だという点が実は大事なのだ。マルクス主義が西欧社会で退潮して構造主義になれば、構造主義にながれ、構造主義ってなんだとやっているうちにポスト構造主義だとなれば、今度はそっちだとながれていく。西欧の書店に並ぶ書物をながめていれば、数年後の日本の思潮はほぼ予測できるはずだ。何も、ビジネスだとか情報科学のような分野ばかりではない。その都度、何が新しい考え方なのかを解説する人が現れ、多くの人は原典を読まずにそういう文献でいっぱしの口をきくようになっているだけなのだ。『構造と力』がなぜベストセラーになったのかを考えてみるとよいと思う。結局のところ、それは、ドラッカーなどと特に異なる読まれ方がされていたわけではないのだ。