日別アーカイブ: 2012/04/15

『原子力をめぐる科学者の社会的責任』 坂田昌一 樫本喜一・編

岩波書店 2011年

坂田さんの『坂田昌一 コペンハーゲン日記』を紹介した時に、原子力問題に関しては、本書が出ていることを書いておいた。『日記』と比べると、異なる場所で同じような内容をくり返し説かれているのが集められているので、通して読むと少し退屈かもしれない。文章のおかれる「場所」柄か、人柄故か物言いも上品で、武谷三男さんのような歯に衣着せぬといった所も少ない。しかし、それだからこそ、坂田さんが言いたかったことはもの凄く明瞭に伝わってくる。中ソへのシンパシー、社会主義への傾倒などは、今、坂田さんの著書を読むものを逡巡させるかもしれないが、これは思潮というもので、こだわる点ではないと思う。最後におかれた講演で、自然の階層構造と唯物弁証法の話題をちょっと述べられている所は個人的には少し感心をひかれるが、総じて主張されているところは、次の何点かに集約されるのではないだろうか。

  1. 原子炉の技術は、まだ確立していない。なぜ、自主的な開発を時間をかけて行うことをせずに、中途半端な技術を海外(この時期に対象となっているのは、英米)から買い入れるか。
  2. 英米は、結局の所、核エネルギーの世界市場での覇権をとることと、それにともなって軍事面の統御をきかせることを狙いとしていることは見え透いている。なぜ、そのような大国の見え透いた戦略に易々と乗らねばならないのか。つまるところ、それで一儲けしたい外国との関係の深い企業の利益以外に国益は何もないのではないか。
  3. 原子力の安全審査は、原子力の推進母体の下部組織などでやるのではなく、独立組織とし、学術会議からの推薦人を入れるなど、公開の原則を徹底し、民主的な決定を行うべきなのに、政府の政策は秘密主義に傾いている。
  4. 国家がそのような動きに走り戦争の危機を再び招かないように、世界の科学者は連帯して各国の政府から自立し、独立に提言をしていくべきだ。

特に学問の自由と政治からの独立性の重要さについては、くり返し述べられている。たとえば、つぎのようなエピソードがある。

 一昨年日本学術会議の学問・思想の自由保障委員会が全国の科学者にアンケートを出し、過去十数年間において学問の自由がもっとも実現されていたのはどの時期であったろうかと質問したのに対し、太平洋戦争中であったという回答をよこした人が非常に多かった。これはもちろん研究費が潤沢であったという意味の答だと思うが、日本の科学者の学問の自由という問題に対する意識がいかに低いかを示したものといえよう。過去において日本の科学者は学問の魂である自由の代償として研究費をかせいでいたが、戦後日本学術会議の発足にあたってはそのような卑屈な態度を強く反省したのであった。しかるに今また原子力研究の問題と関連して巨額の研究費を獲得するため過去と同じ過ちをくりかえすことがあるならば、日本の学問は再び科学者の良き意志に反し、悪しき目的に奉仕する結果となるであろう。これが原子力研究の形について慎重な検討を必要とする理由である。(本書 24ページ)

今の日本学術会議がどうなっているのか、目立った報道もなされていないので、Webサイトを見てみると、福島第一の事故後の動きとしては、次のようになっている。分科会ができたのは昨年末になってからだが、それまでは、震災関係は全部「東日本大震災対策委員会」で取扱って、7度の提言を行っているとのこと。実は、僕はこれは知らなかった。

放射能対策分科会

  • 第一回(平成23年12月8日)
  • 第二回(平成23年12月28日)
  • 第三回(平成24年1月16日)

放射能対策分科会からの提言(平成24年4月9日)

ここしばらく多忙にかまけて新聞もろくに読んでいなかったので、他に震災関連での提言が出されていたのも知らなかった。ニュースには、なっていたようだ

いずれにせよ、坂田さんは、学問が政府の侍女となるのではなく、政治からの自由を維持することの重要性を再三説いている。本書でカバーされている’60年前後ですら、それはすでに脅かされ始めているという懸念を著者は述べる。その後の学術会議について坂田さんがどのように見られていたのかは分らないが、戦中の御用学者への回帰の危険性を説かれているのを読んでいると、少なくとも原子力研究の世界では、坂田さんの懸念はある程度的中したのかと多くの人は思うだろう。

原子力三原則については、自ら主導してまとめられたからか、次のように強い主張が出てくる。

ことに原子力研究の場合においては、三原則の役割は他の学問と比較にならないほど重要である。三原則を無視してもよいなどというのは原子力の本質についてまったく無知な人間か、さもなければ原子力を看板に一もうけしようとする利権屋だけである。原子力が何たるかを本当に理解している人間は、三原則を基盤としないかぎり原子力研究はけっして人間に幸福をもたらしえないものであることを熟知している。もとより米英ソのごとき、いわゆる先進国においては原子力研究が三原則と矛盾した形で行われている。しかし、原子力の発展によってもたらされた現代の人類の危機は正にこれらの国々の研究が三原則を無視して行われていることの結果であり、このような状態がなお続くなら石炭や石油が枯渇するよりも遥か以前に全人類が破滅の深淵におちこんでしまうであろうことに思いを致すべきである。

もちろん、当時は核兵器の脅威が今以上に深刻であったことが背景にはある。しかし、原子力発電といえども、核兵器開発の副産物として軍事戦略と深く結びついたものであることが当時は今以上に強く認識され、核燃料の米英からの供給なども自由を奪う物として真剣に反論をくりひろげているのである。1950年代半ばにそれまでの秘密主義をゆるめ、アイゼンハワーが原子力の平和利用を急に唱え始めて日本などの後進国に濃縮ウランの供与を提案してきたのは、ソ連が水爆開発でリードし、原発の操業を世界に先駆けて開始したことがきっかけとなって、起こってきたきわめて打算的な計画であると言い切っている。

最近発表されたアメリカ原子力諮問委員会の報告が「原子力発電が国内で採算がとれるようになるためには、三〇〇億ドルにのぼる海外の潜在需要がかけ橋となるだろう」と述べていることからでもわかるように、僅かな原子燃料を貸し付けることにより、相手国の中のウラニウム資源を確保し、将来における原子力発電の輸出市場を予約しようというのがその主な狙いであった。それ故にこそ、未決定の要素の多い原子力発電に対しあたかもすでに確立された技術であるかの如き幻想を抱かせ、原子力に対し人類に幸福と反映をもたらす魔術であるかの如き錯覚をもたせるような大宣伝が行われているのである。最近日本を風靡している原子力ブームは全くこのような宣伝によりつくりだされたのであり、その意味で極めて危険なものと言わねばならない。(72ページ)

 

二、三年前から原子力の平和利用ということが世界的に騒がれており、日本でも米国から濃縮ウラニウムを借り受けるための双務協定が結ばれたり原子力委員会が誕生したりしたので、国民の中には今にも原子力からやすい電気が豊富につくり出されるような幻想を抱いている人があるかも知れぬ。三年前からソ連で五〇〇〇キロワットの原子力発電所が完成したことも事実である。しかし、原子力発電が本格的なものとなるのはずっと先のことであって確かな見通しはどこの国にもないと言ったほうがよいのである。今日米国や英国は日本に動力炉を売りつけようとやっ気になって宣伝を行なっており、日本の政界や財界の一部にもこれらの国と早急に動力協定を締結しようとする動きがある。国民はこのような動きの背後に何がかくされているかを鋭く見抜き、十分な警戒を怠ってはならない。純粋に学問的な立場から見ると湯川先生の書かれた文句のように、原子力開発は「ゆっくりいそげ」ばよいのである。(116ページ)

 

水素の原子力は一つの例であるがともかくパウエル博士の警句が示唆しているように、自然は無限の宝庫であり、今後の科学的研究の進展により、何時どんな新しい力が発見されないとも限らないのである。したがって、来るべき原子力時代に対処するには長期的観点に立ち、基礎的な科学の育成に努めることに重点をおくべきであり、他国から完成した技術を輸入するというような安易な他力本願的態度は一ときも早く捨てねばならない。外国ではすでに実用の段階にあり、輸入さえすれば、すぐ役に立つ技術だというのであれば、まだ話はわかるのだが、原子力発電の場合には日本国民に一片の福祉ももたらさないのである。(117ページ)

原子力開発をするなというのではない。しかし、なぜ早急に未熟な技術を輸入してまでそれを実現する必要があるのか。そんなものは、時勢に敏感な利権屋の食い物にされるだからやめておけ、と、いうようなことを丁寧に書かれている。別の箇所では、よくいわれるエネルギー不足について、次のように書く。

まず第一にあげられることは、原子力発電をいそぐ根拠となっているエネルギー問題がはたして至上命令なのであろうかという点である。今後一〇年あるいは二〇年後におけるエネルギー需給の見通しは確かに相当窮屈ではあるが、推定の基礎にかなり不確定な要素をもっているから、推定の方法によってはそれほどでもないという結論も出てくることを知らねばならない。またたとえエネルギー問題が至上命令であった場合でも、その解決をただちに原子力発電にもとめるという態度は、原子力に対する神秘的な信仰にもとづく非科学的なものであって、現実を知らない過大な期待というほかない。(119ページ)

結局のところ、需要と供給のいたちごっこは永遠のテーマだ。需要は伸びると供給側は言う。需要はそれに応じて伸びることもあれば、それほどは伸びないこともある。それは、元々、伸びるという前提の元での試算に過ぎないのだ。

しかし、原子炉が未知の要素を多く含み、法則性の的確にとらえられていない装置であり、放射能障害が通常の毒物による障害とは質的にまったく異なった性格のものであることを正しく認識するならば、原子炉の安全性ととりくむためには、まず基本的観点を明確にすることから始めねばならぬことが理解できるだろう。何を測っているかわからぬような物指をつくり、それで測って安全だといって見たところで、それこそ観念論であり、国民をごまかすおまじないにぬぎない。基本的な観点に立ち個々の問題ととりくんでこそ、はじめてどうすれば災害を防ぎうるかという実際に役立つ科学的な対策が生みだされるであろう。日本の学者には断片的な知識や末梢的なテクニックスだけを学問と思いこみ、そのよって立つ基盤を明確にする基本的な物の考え方が学問を学問たらしめる上に一番大切であることを忘れている人が多い。これはわが国の科学の植民地性の現われであり、外国でてぎあがった技術を輸入することに追われ、自分で創造した経験をもたぬことの結果だといえる。日本の科学技術の無思想性は学問の幇間性とも密接な関係がある。何故ならば学問を政治の従順な侍女としておくためには学問が思想をもつことは危険であったからである。(129ページ)

 

米英両国との動力協定が日程に上ってきたのは、我国に原子力の潜在市場をもとめようとする米英両国の強いよびかけと、これに呼応して巨利をむさぼろうとする産業界からの執拗なはたらきかけによるのであって、決して国民の幸福を目標として立案された原子力開発計画にもとづいているのではない。(138ページ)

結局のところ、ここで言われているところに原子力発電の問題はつきるのではないか。巨利はいささか大げさでも、自衛隊と同様、外圧とそれに呼応する内部対応者によっておぜんだてされたのが原子力発電に関する国の方針であり、国民の中からできあがっていった計画ではまったくない。それが、研究を必要とする技術であったとしても、実用に向けた取り組みが、1960年頃の日本に急務であったとは、今から見てもとても信じられないのだ。坂田さんは、『原子力委員会原子炉安全審査部会専門部会への意見書』で、次の三か条を求める。

  1. 日本原子力発電株式会社原子炉設置許可申請書ならびに第七小委員会審査報告書を公表すること。
  2. 原子炉の安全生評価についての基本態度、とくに事故時における一般人に対する緊急許容線量の限界について、原子力委員会としての見解を確立し、これを公表すること。
  3. ひろく学界の意見をきくため本部会と日本学術会議原子力関係委員会との懇談会を開催すること。

これらに加え、設置許可が行なわれたあとで信頼性を確認しなければならない点があまりに多いことなどの懸念点を述べ、これらの意見が認められなければ責任のとりようがないとして、半ば渋々引き受けていた安全審査委員を辞任するのである。国の安全審査の仕組みに対して、坂田さんは、次のような指摘を残している。

原子炉の安全審査機構の問題点

  1. 審査機構が原子力委員会の下部組織であるのは不適切。
  2. 必要な調査費もない。
  3. 任命制の委員では、民衆の安全はまもれない。一般的に言って任命制の委員には民衆に対する責任感がうすく、ひろく学界の意見を聞こうなどとは思わない。自分達は、政府から折り紙をつけられた権威者であると考え、いい気持ちになっていても、実際上の権力は官僚に握られ、彼らのつくった作文を形式的に裏付けるロボットと化している場合が多い。

科学者はただ科学していればいいというものではなくなった、と坂田さんは言った。日本への原爆投下は、遅れて参戦し日本の分割を狙うソ連に対する強烈なデモンストレーションであり、日本の敗戦はアメリカにとっても規定事項で戦争を終わらせるために原爆を投下したというのは言い訳に過ぎないことを坂田さんは言い切っている。日本の科学者は、この坂田昌一という優れた科学者の残した考えからどれだけ進歩したのだろうか。政府の役人と戦っても、国民のためになすべきことをする政府委員ははたしてどれだけいたのか?